とある外大生の旅日記

とある外大生が、旅のこと、考えたこと、感じたことを思ったままに書いていきます。

田舎者が海外に飛び出していく話

こんにちは。とある外大生です。

 

昨日で1週間が終わり。週末は肩の力が抜けますね。昨日は課題を忘れてスーパーで買ったチーズケーキを食べながら溜まったドラマを見ました。1週間頑張った自分へのご褒美です。自分の機嫌は自分でとる女性になりたいと思う今日この頃です。

 

昨日はフランス語の授業で単語テストがありました。なんと、入学してから2回目の対面で受けるテストです。私はコロナが始まった年に入学した学年なので、そもそも対面の授業も今まであまりなく、テストもオンラインかレポートばかりでした。なので大学に入ってからの対面テストの記憶はほぼなく、テスト中は中高のテストのことをぼんやり思い出していました。懐かしいので、今日は私が大学生になるまで、を書いていきたいと思います。

 

私は人よりも、少し違う子供時代を過ごしたのではないかと思っています。

というのも、とても田舎に住んでいたんです。こういって皆さんが想像するのはどんな場所でしょうか?『ポツンと一軒家』に出たことがある地域と言えばなんとなく想像していただきやすいでしょうか。出身地のことを説明するとき、私はよく小学校の話をします。そうすると、想像してもらいやすいからです。

 

私が通っていた小学校は、全校生徒が20人にも満たない小さな小学校でした。同級生は、私のほかに男子1人、女子1人の計3人。それで授業をするのは少なすぎるので、2学年ずつ教室が一緒で、合同授業。だいたい1つの教室に6~7人でした。先生が片方の学年を教えている間にもう片方の学年は問題演習をする、といった形で授業は進められました。

 

自然が豊かな環境で、かつ少人数だったので先生方はかなり自由な授業をしてくださったな、と今になって思います。桑の枝から和紙をつくってお習字をしたり、花から絵の具をつくって塗り絵をしたり、春には家庭科室でお団子をつくって校庭の桜の下で食べたり。その時は普通だと思っていたけれど、成長して周りを見てみると特別だったんだな、という授業や体験がいくつもありました。

 

休み時間もほかの学校とは違う過ごし方だったかもしれません。なにしろ全校生徒で20人にもならないので、何かをするとなったら1~6年生全員でしなければなりませんでした。サッカーも、野球も、バスケも、ドッヂボールも。それでも本来の人数には足りませんが。そんなことがあったので、体力も力も違う子たちと一緒に遊ぶにはどうしたらいいか考えたり、苦手な子といやでも接することを学んだ気がします。

 

町で唯一の中学に上がると、同級生が120人になりました。人がたくさんいることが嬉しくて仕方なくて、毎日家に帰ると母親や妹弟に学校の話を永遠にしていました。3年間、勉強、部活、駅伝、学校行事、色んなことに挑戦して大好きな友達がたくさんできました。家に帰るとすぐにもう早く明日になってほしい、学校に行きたい、と考えるような中学生でした笑 今考えると恵まれていたなと思います。

 

高校は、県庁所在地にある学校に進学しました。なんと私の中学校からその高校に進んだのは私1人だったのですが、新しい生活が楽しみすぎて緊張は全然しませんでした。1つ難点と言えるのは、なにしろ実家が僻地なので、高校のある県の真ん中まで行くには片道2時間かかったこと。部活の朝練もあったので、毎朝4時に起きて5時に出発の生活を3年間していました。朝練が活発な学校でしたがさすがに私より早起きの人はいませんでしたね。でも、それも覚悟のうえで受験したのであまり苦にはなりませんでした。それよりも、学校が楽しすぎて!中学同様、高校でも学校に早く行きたい病を発症しました笑 今でも、戻れるなら戻りたいです。でも、高校って1回卒業したらもう入れないそうですね。今高校生の方は、全力で楽しんでほしいです!もう戻れないよ!

 

こんな感じで、私の高校までのお話をしてみました。まとめると、僻地出身の女の子が、どんどん都会に飛び出して楽しい学生生活を送ったと、こういう感じです。そして次は海外に飛び出そうとしています。どこまで行くのか、自分でも予想がつかないので楽しみですね。

 

今日も最後まで読んで下さりありがとうございました!よい週末を!